#3
カムイミンタラで、〈命〉の洗濯 河治 和香
歴史小説家

11月の層雲峡は、穴場の時期である。
紅葉シーズンが終わると、ぐっと人出が少なくなる。スキーシーズンや〈氷瀑まつり〉には、まだ早い。
雪が降りはじめて木々が白く染まり、峡谷は幽玄な空気に包まれる。
まさに、アイヌの人々がこの地を「カムイミンタラ」……

「神々の遊ぶ庭」と表現したのがよくわかるような風景が出現するのだ。

11月のはじめに「ホテル大雪」に泊まりにいった日は、雪の予報だった。
大雪山周辺は、北海道でも(ということは、日本でも!)最も早くに雪が降り始める地域だ。
……雪の中、ホテルにお籠もりして、まったり温泉三昧で過ごそう。
と、決めた。

日常の些事に追われて、なんだかくたびれていた。
親しい人の突然の訃報に、ふと気付くと気持ちが落ち込んでいた。
どうでもいいことが心に引っかかって、つい思い悩んでしまう。いやだなぁ。
……そんな、いつのまにか溜まってしまう〈心の中の澱〉を、すっきりさせたい!と思うことがある。
そんな時に思い出すのが、〈命の洗濯〉という言葉だ。

今は、あまり使わない。
辞書的には「日常から解放され、のびのび過ごすこと」ということだけれど、この言葉、江戸時代などは「吉原などへ行く時」などによく使われた。
山東京伝の戯作「御誂染長寿小紋」という長寿の秘訣を説いた戯作では、その〈命〉 について、
「命は時折洗濯しなければ汚れた雑巾のようになってしまうので、盥には小判を入れて磨く如く命の洗濯をする」
と、挿絵には小判の盥で〈命〉という字を、せっせと褌を洗うように洗濯している男の姿が描かれている。(大金払って美女と遊ぶ、ということですね)

今は時代が違うけれど、こんなふうにたまには〈命〉をお洗濯したいなぁ……。
そんな気分になるときがある。

そんなわけで……今回は、「雪花」という、お部屋にお風呂のついたプランである。
……内風呂がある!

こんこんと24時間源泉が湧いている。
部屋についたら、チャポンとまず入ってみる……ああ、これ、すごいしあわせだよ!

さらに、ホテル大雪には大浴場が3つもあるのだ。
まず、日が暮れないうちに……露天風呂から絶景が楽しめる〈天華の湯〉に入りに行こう。
体を洗ってから、露天風呂に入ると……目の前には峡谷の壮大な景色が広がる。
……大自然の中でお風呂に入るという贅沢。

もうこれだけで寿命が延びそう!

ところで、今回のステイでは〈サ道〉を極めてみよう!というのが、私の中ではささやかなミッションなのであった。
一応、近所の温浴施設のサウナ→水風呂→外気浴は試してみたことがあるけれど…
…この大自然の中で、一度はちゃんと〈サ道〉にのっとってサウナを満喫してみたいと思った。
まず、サウナに入る前には体を洗って……温泉にゆっくり浸かる。これをその界隈の人々の間では、〈下茹で〉と言うらしい。 ホテル大雪の大浴場の中で、サウナがあるのは西館7階にある〈大雪の湯〉である。
なんとガラス張りになっていて、サウナからも景色が見える。

さらに、セルフロウリュウもできる。サウナ内の桶から水を柄杓でサウナストーンの上にかけると……ジュワッと湿度が上がる。さらにローズマリーのアロマウォーターも用意されていて、サウナ室内はハーバルな香りに満たされて……いい気持ち。
サウナ室の前にはウォーターサーバーもあるので、私は冷たい水を少しずつ口の中に含み、体温で温めるようにしてチビチビと飲むようにしてみた。こうすると汗がでやすくなるというのだけれど……水を口に含んでいると、まずは頭が熱くなりすぎないようでいいみたいだ。
時間は何分とは決めずに、気持ちよく汗が出てきたら、さっとシャワーで汗を流して、水風呂に。こちらも、体が冷えたらすぐ上がって、無理はしないで、そして上がったらバスタオルでよーく体を拭く。(←ココ、大事!)
そのまま、露天風呂のある外に出て、椅子に座って、外気浴。
体の表面は、水風呂で冷ましてあるので、意外に外気の冷たさが気にならない。逆に体の芯が温まっているので、風が吹くと……なんとも心地よいのだ。

ひたすら、ぼーっ!(無の境地)

……これ、もしかしたら、瞑想に近い状態なんじゃないかな?
いつもは、これでおしまいにしているのだけれど、サウナの基本は、これを3セット繰り返すことだという。試してみたら……2セット目の方が汗が出やすいみたいだった。さらに3回目には、その汗がサラサラしてくる。ああ、気持ちのいい汗というのは、こういうことなのかな?

体の中の〈よくないもの〉は、汗とか涙と一緒に体の外に排出されるというけれど、 サウナで汗をかいていると、本当にスッキリしてくる。
同時に水分も取らないと汗は出ないような気がする。水を飲んで……汗をかいて……その繰り返しの中で、体の中の水分が循環する感じ。
そして、すっきり汗と一緒にいろいろな〈いやなもの〉を排出したあと、外気浴…
…層雲峡からの風にぼんやりと吹かれていると、〈神様の遊ぶ庭〉の、何かさわやかな〈いいもの〉が体の中にすーっと入ってくるような気がしてくる。
……なにごとも、出してからじゃないと入ってこないって、こういう感じかも。

夕食前に、サウナを終えたら……超スッキリ! 頭もシャッキリ……どうしちゃったの、私?!サウナって、すごいなぁ、というより大自然の力ってすごいな。
夕食は白老牛の焼しゃぶなど、北海道ならではの季節の食材が並ぶ。

お酒は……ちょっとめずらしい〈とうきびビール〉を。ほんのりトウモロコシの香りと……甘さを感じるようなクラフトビールだった。ここでしか味わえないかも。

夜は、寝る前にお部屋のお風呂に。ちゃぽん。ぐっすりと眠れた。

朝、起きたら……6時だった。たいへんだ、寝過ごすところだったぞ!
コーヒーを入れて……めざめの温泉。お部屋のお風呂に入りながらコーヒー飲んでみた。お行儀悪いけど、なんだかしあわせな気分。このお風呂、そんなことも出来ち ゃう雰囲気なのである。自堕落だけど、まぁ、許されたし。
そして……またまたサウナ。
〈朝サウナ〉というのを試してみる。
実は、朝っぱらからサウナになんか入ったりしたら、1日だらんとしてしまいそうな気がして……朝サウナだけは、やったことがなかった。
でも……試してみたら、すこぶる快調だった。またまた3セットである。
結果は、だらん、どころか……シャキーンとして、自分の体調の変化にびっくりする。
朝、寝起きはむくんだりしがちだけれど、その浮腫などがサウナ3セットですっきりした。さらに肌はしっとりつるつるだ。

朝食は和食洋食から選べるので、私は和食を選んだ。どれも美味しかったけれど、特に自家製塩辛と……大きな梅干しが絶品だった。奇をてらったものより、素材を生かして大事に調理するということが、やはり料理の基本なのだろうと思う。

……まったり。
食後は、1階の〈チニタの湯〉に入りに行く。ここは天井の高い、ステンドグラスの美しい広々とした大浴場。浴室に入った瞬間、温泉の匂いがする。ここのお湯が一番熱くて……そして、濃いような気がした。隣には寝そべってゆったり浸かれるぬるーいお湯が。熱いのとぬるいの、交互に入るのもいいかもしれない。
でも、やっぱり朝は、あっつい!お湯だな。シャキッとする。

……こうして気付けば、チェックアウトの11時になっていた。
お土産は、上川大雪酒造とホテル大雪さんの限定コラボという日本酒と、甘酒を購入。

考えてみたら……昨日から、何もしていない。
ただひたすら温泉とサウナに入って、美味しいものを食べただけ。
ぼーっと空っぽになって、きれいな空気を吸っていただけ。
でも……家に帰って荷解きをしながら、ふと気付いた。

……どうでもいいこと、すっかり忘れてた。

体や頭がスッキリするだけでなく、どうでもいいことは、本当にどうでもよくなり、悲しい出来事は、少し過去の事柄になっていた。
何かが抜けていった感じ。
同時に……ぼんやりと風に吹かれながら考えていたことは。

何かが抜けると、何かを新たにやりたくなる。

これは、家ではできそうで……なかなかできないことだ。大自然の中に身を置いてこそ。
ただボーッとしただけだけど、こんなボーッと……を堪能できるホテルって、なかなかない。

それは、「心を遊ばせる旅」。

翌朝、目が覚めたら、またまたこわいくらい体も心もスッキリしていた。
いつも、温泉から帰ると、翌日は心地よくだるーくなるものなのに。
なんだかすごいな。
温泉で癒されるんじゃなくて……パワーチャージした感じだ。
「またホテル大雪で〈神さまの遊ぶお庭〉を眺めながら……命のお洗濯をしよう」
……そう、思った。

*河治氏からのメッセージ:

ホテル大雪に行った直後、西洋占星術では、冥王星が水瓶座に移動しました。
私は双子座なので……この冥王星移動によって、
〈旅〉がこれからの人生のテーマになってくるそうです。

生活の中に、旅がある。
旅の中に、生活がある。
……旅するように暮らすこと。

祖父は、アメリカに密航して、一時は無戸籍者になった人でした。
声楽家だったという叔父は、統一前の東ベルリンで客死しました。
父は、若い頃、馬賊に憧れて満州に渡ったそうです。
……どうやら、うちは放浪癖の家系のようなのです。

そんな血筋を恥じて、ずっと隠していたのだけれど、
……ちょっと、いいかもね。
って、この頃は思ったりします。

昨日と同じことをやっていたら、
昨日と同じ明日しか来ない。

だんだん、そんなことがわかってきました。

自分で自分にほんのちょっと〈揺さぶりをかける〉。
それが旅のいいところ。
……って感じでしょうか。

2024年の師走、日本で最初に団体旅行を始めた人のことを調べるために訪れた草津駅前の喫茶店にて。

河治和香(歴史小説家)
東京都葛飾区柴又生まれ。日本大学芸術学部卒業。日本映画監督協会に務めるかたわら、江戸風俗研究家の三谷一馬氏に師事して、江戸風俗を学ぶ。2003年、『秋の金魚』で第2回小学館文庫小説賞を受賞し、小説家デビュー。2018年、『がいなもん 松浦武四郎一代』で第3回北海道ゆかりの本大賞、第25回中山義秀文学賞、第13回舟橋聖一文学賞をそれぞれ受賞。他に『笹色の紅 幕末おんな鍼師恋がたり』、『国芳一門浮世絵草紙』シリーズ、『紋ちらしのお玉』シリーズ、『未亡人読本 いつか来る日のために』、『どぜう屋助七』、『遊戯神通 伊藤若冲』がある。


イラスト・杉井ギサブロー